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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和44年(う)7号 判決 1970年7月16日

被告人 森正次

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、金沢地方検察庁七尾支部検察官谷口治作作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は弁護人島田武夫の答弁書、同北尾幸一、同北尾強也共同作成名義の答弁書及び答弁補充書に記載されているとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。

検察官の所論は要するに、原判決は、公訴事実とほぼ同旨の事実を認定しながら、「被告人の所為は、被害者市川健次の自己に対する急迫不正の侵害に対し、これを防衛するため已むを得ずなした相当の行為であつて、刑法三六条一項の正当防衛に該当し、罪とならない。」との理由で無罪の言渡しをしたのであるが、右被告人の行為は、正当防衛に該当しないに拘らず、これを肯認した原判決には事実の誤認があり、ひいては法令の解釈適用を誤つたものであり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、到底破棄を免れないというのである。

一、まず、原審で取調べた総ての証拠に、当審における事実取調べの結果を綜合して本件の事実関係について考察するに、原判決挙示の各証拠によれば、原判示二の(一)ないし(八)のとおりの次の各事実、即ち

(一)  被告人は、昭和三九年九月頃から石川県羽咋郡富来町役場に勤務し、富来町所有のダンプカーの運転に従事していたものであるところ、昭和四〇年二月一〇日午後四時過頃富来町貝田部落でのバラス(道路敷用小砂利)等の運搬作業を終えて富来町所有のマツダDVA一二型六二年式小型貨物自動車(通称マツダD二〇〇〇ダンプカー。以下ダンプカーと略称する。)(当時の登録番号石四た〇三―五三号)を運転して富来町地頭町ハの二〇六番地富来町役場へ帰る途中、富来町領家ハの五三番地蔵谷自動車整備工場へ立寄り、予て同工場に修理のため預けてあつた被告人所有の自動車内から、翌日に予定していた同県七尾市内でのヒューム管積載作業の際使用する目的で刃渡り約一五センチメートルの短刀一本を取り出し、同日午後四時三〇分頃右役場に帰着したが、右短刀は同車備付けのジヤツキ棒一本(当庁昭和四四年押第二号の一鉄管)とともに右ダンプカーの運転助手席のシート上に置いておいたこと

(二)  被告人は、同日午後五時過頃から七時頃まで右役場産業建設課の部屋で同僚の水岡久夫らと飲酒し、更に同人らと共に附近のバーや飲み屋に赴いて午後一一時二〇分頃まで飲酒した後、午後一一時三〇分頃右役場中庭に駐車してあつた右ダンプカーを運転して帰途についたが富来町地頭町ハの一六八番地北陸鉄道株式会社七尾自動車区富来支所(通称富来駅)前附近を走行中、一五メートル位前方の柏谷書店こと柏谷貞治方前附近路上を酔余千鳥足で同方向に歩行中の市川健次(当時二五年)(以下、被害者という。)を発見したこと

(三)  被害者は、同日午後五時三〇分頃稼業の大工仕事を終えてから富来町七海一の三四番地浦野初太郎方で日本酒(冷酒)約六合を飲んだ後、知人の同町七海一の二五の一番地屋敷はる枝方および富来町地頭町七の三二番地寺岡一夫方へそれぞれ立ち寄つたうえ、午後九時四〇分頃から同町地頭町ハの一七二番地料亭「草月」こと磯信方で約一時間程もかけて日本酒約一合を飲み、更に午後一〇時五〇分頃から同町地頭町ハの一九四番地バー「ナポリ」でビール一本と洋酒をコップ半分位飲んだが、その頃には足許も定まらず店内で小用を足そうとする等泥酔状態に陥つていたので、午後一一時二〇分過頃右「ナポリ」のバーテン林弥栄が腕を組む様にして店外へ連れ出し一緒に同町地頭町ハの一六七の二番地料亭旅館「湖月」前まで来た時、被害者は突然両手を拡げて道路の真中に飛び出し、折柄同所を通りかかつた長原庄一郎の運転する富来タクシーの乗用車の前に立ちはだかつたので、林弥栄は被害者の腕を引張つてようやくにして道をあけさせ、同所で被害者と別れたこと

(四)  被告人は被害者を発見後、ハンドルを数回左右に操作しこれを避けて通過しようとしたが、被告人のダンプカーに気付いた被害者は振り返えり、両手を拡げて左右にふらつきながらその前に立ちはだかり停車させようとして来たので、被告人はやむなく右柏谷貞治方前附近で停車したところ、被害者は拳で右ダンプカー助手席窓ガラスや助手席側ドアを二、三回叩いたうえそのドアーを自から開けて強引に乗り込んで来て、被告人に対し「西海へ乗せて行け。」と言つたが、被告人は自宅と方向が違う旨断つて下車を促しながらゆつくりと発進させ、二〇メートル位先の右柏谷貞治方北側の交差点に差しかかつたところ、被害者は下車しようとせずやにわに両手をハンドルにかけて無理矢理左折させ、富来町里本江を経て同町内の通称西海(旧西海村、現同町字風戸、風無、千浦、久喜一円を指す。)へ至る国道に右ダンプカーを進入させてしまつたので、被告人はやむなく被害者を右西海まで送り届けることにし、「富来大橋」を渡り富来町字給分ハの二の四番地桶正藤方前附近に至つたが、この間時折被害者がハンドルに手を掛けようとして身体を被告人に絡みつけてきたので時速約二〇キロメートルの低速度で走行せざるを得なかつたこと

(五)  右桶正藤方前附近に至つた際、被害者は今度は「八幡へ送れ。」と言い出し、同所から八〇メートル位走行して三本松呉服店前の前記国道と富来町字八幡へ通ずる町道との三叉路に差しかかると、「こつちへ回れ。」と言いながらハンドルに手を掛けて右に切りダンプカーを右町道に進入させてしまつたので、被告人は致し方なく被害者を右八幡へ送つてやることにして富来町字里本江五四の七番地池端龍雄方前を経て同町里本江三二の二九番地広覚寺前附近まで走行し来つて停車し「八幡の何処や。」と尋ねたが、被害者は「行けばわかる。」と答えるのみで埓があかなかつたこと

(六)  そこで被告人は更に九〇〇メートル位走行して富来町字八幡三の一四七番地浜坂徳蔵方前十字路に至つて停車し「八幡へ来たぞ。」と告げたところ、被害者はなおも下車しようとせず却つて「お前は何処や。」と尋ね返してきたので、被害者に自宅までついて来られるのを恐れた被告人が「七尾へ行く途中や。」と答えると、被害者は「わしも行く。連れて行け。」と言い出し下車する気配をいささかも示さなかつたので、思案に余つた被告人は、被害者が乗り込んできた前記地頭町辺りまで連れていつて下車させてしまおうと考え、右十字路を右折して通称八幡道の町道に進入し「一体、お前は何処の者やい。」と尋ねたところ、被害者が「俺は七尾の和倉屋金物店の若い衆やわい。」と答えたので、被告人は被害者の言動から察して七尾のやくざだと思い不安に駈られつつ更に二〇〇メートル位走行して翌二月一一日午前零時頃富来町八幡ラの部一甲の一番地先右八幡道上に至つたところ、被害者は「車をよこせ。」と言いながら左手をハンドルに掛け右手で脇腹を突きあげるようにして被告人を押し退け自から運転しようとしてきたので、被告人は走行し続けることに危険を感じてその場に停車するに至つたこと

(七)  すると被害者は再び「車をよこせ。」と言いながら右肘で被告人を押し退けようとしたり脇腹を突きあげたり等したうえ、左手でハンドルを掴んでなおも自ら運転しようとするので、ダンプカーを奪われる危険を感じた被告人はひと先づ車から逃げ出そうと考え、左肘で被害者を押し返しながら右手でエンジンキーを抜き取つたところ、被害者が助手席シート上にあつた前記短刀を左手に握つたのが目に映つたので、被告人は咄嗟に右手で被害者の左手を押えつけ、左手で右短刀をもぎ取ると、被害者は今度は助手席シート上にあつた前記ジヤツキ棒を握つてやにわに被告人の腰部を一回殴打したが、被告人は即座に運転席側ドアーから車外へ飛び出したところ、着地するかしないかのうちに更に被害者から右ジヤツキ棒で後頭部を一回殴打されたので、後頭部に強い衝撃を感じた被告人は瞬間反射的に後を振り返えると、被害者はなおも右ジヤツキ棒を振りあげ被告人を追つて来ようとしてすでに運転席側のステツプ台に足をかけ前傾姿勢で降車しようとしているので、身の危険を感じた被告人は左手に持つていた右短刀を右手にするや、咄嗟に被害者の前胸部をその懐に飛び込むようにして素早く一回突き刺したが、被害者はひるむ気配もみせず下車し、なおも右ジヤツキ棒を振りあげて一、二歩と迫つて来ようとするので、次の瞬間被告人は右短刀で更にその前胸部を一回突き刺したところ、ようやく被害者はよろめきながら二、三歩後退して路上に腰を落したので、被告人は直ちに右ダンプカーを運転してその場から逃げ去つたこと

(八)  被害者は右前胸部第四肋骨下縁部に胸廓や右肺上葉内側端部等を貫通し心臓右心房前壁を切破する刺創および左前胸部第二肋骨下縁部に刺創各一個を受けた結果、右前胸部刺創により間もなく右八幡道上において死亡するに至つたこと

等の各事実を認めることができ、当審における事実取調べの結果によつても右原審認定の事実を左右するに足るものはない。

二、そこで、進んで、本件につき正当防衛の要件の存否について判断する。

(一)  「急迫不正の侵害」の点について

前段認定一の(七)の事実に徴し、ダンプカーの外に逃れようとしていた被告人に対して、被害者市川がかなりの重量を有する前示鉄製ジヤツキ棒で右後頭部を一回殴打し、更に、なおも右ジヤツキ棒を振り上げながら被告人の後を追つて車外に出ようとしていたところからみると、右市川の攻撃意思は十分あつたと認められ、再び被告人に対して前同様の攻撃に出ることは当然予想される状況であつたと認められるから、このような状況の下にあつては、なお被告人の生命、身体に対する被害者市川の急迫不正の侵害は継続していたものと認めるのが相当である。

(二)  「防衛の意思」の点について

所論は、被告人の所為は自己を防衛する意図に出たものではなく、むしろ憤激のあまり殺意をもつて攻撃する意思に基くものであるというのであるが、正当防衛行為は、もともと急迫不正の侵害に対する反撃であるから攻撃の意図や殺意があつたからと言つて、必ずしも防衛意思の存在を否定すべきでない。なるほど、本件犯行の用に供した短刀は刃渡り約一五糎、幅約二・五糎、厚さ約五粍の鋭い刃物で、人を殺傷するに足るものであり、しかも被告人の司法警察員に対する「左手に持つていた短刃を右手に持ちかえ、市川の体に向つて夢中で一突きした。その一突きはどこに当つたのか、手応えはあつたが当つたところは判らない」(昭和四三年二月六日付供述調書一五丁)、「又やられては大変と思つたとき、左手の短刀を右手に持ちかえ、前かがみになつていた男の腹か胸を一回ついて手を引いた。ただ水平に突いた。手応えは夢中で判らなかつたが、短刀持つた手は一杯に伸びた。やられてしまうといけないと思つてすかさず二回目を突いた」(同月八日付供述調書)、「ただ身体ごと相手にぶつかつて行つた。振り向いたとき、今にも車から降りようとして大方車の外に出ているように見えた黒い人影に向つて、ナイフで相手の身体を刺した」(同月一二日付供述調書一七丁)、検察官に対する「夢中で短刀で今にも降りて来ようとしている相手の男の腹か腰の辺りと思いますが、その辺りを素早く一回刺して手を引いた。刺したときは自分の身体を中心にして水平に突いた。男は倒れもせず、ひるみもしないで車から降り、ジヤツキ棒を上に振り上げて私に向つて来るような格好したので、すかさず二回目を刺した」(同月二〇日付供述調書)旨の各供述を総合すれば、被告人においては、被害者の身体の枢要部を目がけて、かなりの力で前示短刀を突刺したのを認識していたことを看取するに足り、また、医師井上剛作成の鑑定書、証人井上剛の当公判廷における供述にこれを徴すれば、被害者の受けた傷害は、いずれも身体の枢要部に対するものであり、その上、右前胸部の刺創は、その内部において第三肋骨と胸骨との接合部位の肋骨の軟骨部を鋭利に離断した上、胸廓や右肺上葉内側端等を貫通して心臓右心房前壁を切破している程深く、かつ甚だ重篤なものであつたことを肯認するに足り、これ等の諸事実を総合考察すると、被告人には少くとも未必の殺意があつたと認めざるを得ないけれども、しかしながら、他方被告人の原審公判廷における「相手はかぶさつて頭の上まで来ているので逃げる余猶がなくて、相手にぶつかるのが私をまもる力のすべてであつた。」旨の供述、司法警察員に対する「ガンと一発後ろ頭をやられて逃げる気持どころではなく、このままやられてしまつて家へ帰れんのではないかという気持が頭にひらめきました。頭がガンガンするし、もうやられて駄目になるのではないかと思つた。車から出ようとしているその格好が両手を高く上にあげているように感じたので、叩かれた直後だし、またその棒でやられると思つたのです。それと同時に私の身体が前にもいつたように相手のその男に体当りして行つた」(昭和四三年二月一四日付供述調書)、「振り返つたとたん、目の前に何か大きな人影が自分より高いところにふわつと浮んでいるように見えました。私はもう気違いになつてしまつた。だから今殺されるのではないかという気持ももうなくなつてしまつているし、自分が相手をやつてやるという気持も何もあつたものではない。ただ身体ごと相手にぶつかつて行つた。相手に対して反射的にぶつかつて行つたといつた方がよいかも知れません。」(同月一二日付供述調書一七丁)(この供述部分に対しては後記の判断参照のこと)、「一回突いた後も、相手の男が別に倒れもせず、ひるみもせずに降り、ジヤツキ棒を振り上げて向つて来るので、又やられてはいけないと思つて夢中で二回目を突いた」(同月八日付供述調書)及び検察官に対する「私が一回突いた後も相手の男が倒れもせず、ひるみもせず車から降りて来て手に持つているジヤツキ棒を振り上げて私に殴りかかつてくる様な格好をしたので、又やられてはいけないという気が先に立ち、夢中で突いたのです」(同月二八日付供述調書)旨の各供述を総合すれば、果して前記の供述内容が当時の真実の状況を表現しているか否かはさておき、当時、少くとも被告人においては、侵害者市川の行為により自己の身体生命に対する或る程度の危険を感じ、自己の生命、身体を侵害行為より防衛する目的のもとに、侵害者市川に対し反撃を加える意思を持つていたと認定するのが相当である。

(三)  「已むことを得ざるに出た」ものか否かの点について

所論は、被告人の受けた右後頭部の衝撃は軽微なものであつたものであり、又、被害者は泥酔状態にあつたものであるから、被告人においては現場から逃走するとか、被害者からジヤツキ棒を取り上げる等の行為が容易になし得たものであり、従つて、被告人の本件所為は刑法三六条一項の「已むことを得ざるに出た行為」には該当しないというのである。

案ずるに、刑法三六条一項にいわゆる「已むことを得ざるに出た」ものというには、必ずしも他に執るべき方法がない場合に限られるわけではないが、少くとも当該反撃行為が侵害行為を挫折せしめるため、必要にして最少の限度を超えないものであることを要すると解すべきである。詳言すれば、防衛行為は無制限に許容されるわけではなく、客観的にみて、通常人の合理的な判断により適正妥当なものとして容認される範囲内のものでなければならない。そして、これが判断に当つては、侵害者の攻撃行為と、防衛者の防衛行為とを具体的に比照し、諸般の事情を総合して決すべきものであることはいうまでもない。

これを本件についてみるに、前段認定一の(七)のように、被害者市川の被告人に対する攻撃は、ジヤツキ棒の形状、性質、攻撃の態様からみて、被告人の生命、身体に対する或る程度の危険性のあつたことは認められるが、被害者は、当時満足に歩行もできず、呂律もまわらぬ程酔つていたため、著しく行動能力を欠いており、しかもこのことを被告人においても十分認識していたこと(被告人の検察官に対する昭和四三年二月二〇日付供述調書及び同月二二日付、一一丁のもの、供述調書)、被害者の被告人に対する攻撃の態様も、本件犯行現場に至るまでは、前段認定一の(四)ないし(六)のように、自動車の把手に手を掛けたり、右手で被告人の脇腹を突きあげるようにして押し退けようとした程度であつたこと、本件犯行現場においても、前段認定一の(七)のとおり、被告人は被害者から容易に短刀を取り上げることができたこと、又、自動車内で受けたジヤツキ棒による腰部の打撃も、これによつて傷害を受ける程度でなかつたこと等、諸般の事実にこれを徴すれば、被告人に対する侵害行為は侵害者の身体を刃物で刺されなければこれを防止し得ない程高度のものであつたとは認め難い。もつとも、その後被告人が受けた右後頭部の打撃はかなり強烈であつたことは、これを認め得ない訳でないが、それにも拘らず、被告人においても、右打撃を受けた直後に本件のような反撃行為に出ることもできたし、更には、その場からダンプカーを運転して帰宅し、翌日以降も平常通りの勤務に執いていたこと等諸般の点に照らすと、前記の打撃による侵害行為に対しても、それ以前の侵害行為と同様、これを防止するためには、侵害者の身体の枢要部を、本件刃物のような鋭利な刃物で突き刺す必要があつたとは認め難い。この様な被害者の心身状態、攻撃の程度、態様等よりこれを見れば、当時被告人において直ちに現場から他の地点に逃避する等の方法により被告人の生命、身体を侵害行為より防衛し得たのではないかとさえ考えられる本件にあつては、既に述べているように、鋭利な刃物をもつて、しかも、少くとも未必の殺意で、二回に亘つて被害者の身体の枢要部目がけて突き刺し、胸廓や右肺上葉内側端部等を貫通し、心臓右心房前壁を切破する刺創を負わせて死亡するに至らせた被告人の所為は、その当時の諸般の状況からいつて、侵害と防衛との強度の均衡を失し、相当性の範囲を越えるものと認めざるを得ない。

以上のとおり、本件被告人の行為は、被害者による急迫不正の侵害に対し、自己の生命、身体を防衛する意図に出たものとは認められるが、その防衛の程度を越えたものといわざるを得ない。原判決が、被告人の行為に対し刑法三六条一項を適用して無罪を言渡したのは、結局、事実を誤認し、ひいて法令の解釈適用を誤つたものであつて、右の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は、その余の論旨に触れるまでもなく、破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

よつて、本件控訴は理由があるので刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄した上、同法四〇〇条但書に則り当裁判所において更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、石川県羽咋郡富来町役場の職員であつたが、昭和四〇年二月一〇日午後一一時三〇分過頃、勤務先である富来町役場所有の小型貨物自動車(当時登録番号石四た〇三―五三号)を運転して、同町地頭町ハの二〇六富来町役場から同町広地の自宅へ帰る途中、同町地頭町ハの一六八番地北陸鉄道株式会社七尾自動車区富来支所(通称富来駅)前附近路上に至つた際、折柄同所附近を泥酔してふらつきながら通行中の市川健次(当時二五年)が、被告人の運転する自動車の前に両手を拡げて立塞がり、その走行を妨害したばかりか、自動車の助手席側ドアー等を叩いた上いきなり助手席に乗り込んで来て「西海へ乗せて行け」と強要し、更には自動車のハンドルに手を掛けて無理矢理進路を変えさせる等したことから、被告人においては止むなく右市川を西海まで送ることとし、前示富来駅前附近から同町の通称西海方面へ向つたが、その後市川が「八幡へ行け」とか「俺も七尾へ連れて行け」等といい出し、車から降りようとする気配を全く示さなかつたことから、被告人においては、市川が当初車に乗り込んで来た前記富来駅附近まで同人を連れて行つて下車させようと考え、翌一一日午前〇時頃、同町字八幡ラの部一甲の一番地先の通称八幡道路上に至つた際、右市川がいきなり「車をよこせ」等といいながら被告人を押し退けハンドルを取ろうとしたので、止むなく停車したが、右市川がなおも「車をよこせ」等といいながら被告人を押し退け、ハンドルを取ろうとするので、ひとまず車外に逃れようとエンジンキーを抜き取つたところ、却つて右市川が助手席上にあつた被告人所有の刃渡約一五糎、幅二・五糎の短刀を取り上げたので、被告人において咄嗟にこれをもぎ取つたが、同人が今度は同じく助手席にあつたジヤツキ棒(当庁昭和四四年押第二号の一)をもつて被告人の腰部を一回殴打し、更に車外に逃れ出た被告人の背後から右後頭部を一回殴打する等の攻撃を加えた上、なおもジヤツキ棒を振り上げて迫つて来ようとするので、被告人は自己の生命、身体を防衛するため、前示市川からもぎ取り所持していた短刀を右手に持ち、市川が死亡するに至るかも知れないことを認識しながら、敢えて、右市川の胸部めがけて二回突刺し、よつて右市川に対し心臓右心房前壁を切破する右前胸部刺創等の傷害を負わせ、よつて同人をして間もなく同所において右刺創に基く出血のため死亡するに至らしめたものであつて、被告人の右所為は防衛の程度を越えたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件犯行当時、被告人は右後頭部に受けた強烈な衝撃により意識障害を生じ、専ら本能的情緒又は本能的衝動によつて行動していたに過ぎないから、是非弁別の能力を有していなかつたものである旨主張するけれども、被告人の捜査官憲に対する各供述調書にこれを徴すれば、被告人は司法警察員及び検察官の取調べに際し、本件犯行の動機、手段、犯行の前後における諸般の情況などを具体的かつ詳細に記憶し、供述していることが認められ、従つて被告人は本件犯行当時、相当しつかりした精神状態で行動していたものであることを看取するに足り、是非善悪の弁識力を欠如し、若しくは著しく減退した状態にあつたとは到底認め難い。なお、被告人の司法警察員に対する供述中に「私はもう気違いになつてしまつた」「相手に対し反射的にぶつかつて行つたと言つた方がよいかも知れません」云々の供述部分が存在することは検察官の控訴趣意に対する判示部分に引用してあるとおりであるが、右供述は当時被告人の精神が相当激しい昂奮状態に陥入つたことを肯認せしめるにとどまり、前記のような認定をするに妨げとなるものではない。

そうだとすれば、弁護人の前記の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、右刑期範囲内で被告人を懲役三年に処することとし、なお情状刑の執行を猶予するを相当と認めるので同法二五条一項を適用して本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文に従い被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

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